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  • Writer's pictureAya

過干渉か没干渉か、その線引きが難しい

子どもが2歳か3歳の頃、自我が芽生えた我が子は「じみんで!(自分で)」と言って自分で服を着たり靴を履いたりしたがる時期になりました。それまでされるがままで大丈夫だった子が自分で意見を言う姿は嬉しくもあり、頼もしくもある反面、現実的には着られず・履けず癇癪を起こしたり、急いでいるのに時間ばかりが経ってしまったりして、ついついやっちゃいたくなる自分を自制するのが難しいことを実感しました。そこで手を出すと過干渉だ、と分かっているんですけどね。。。


少し大きくなって小学校に入った頃、お友達の影響で私があまり積極的には見せたくないと思うテレビ番組を見たがる時期がありました。そのテレビ番組はやや「女の子」を強調するような側面があり、小学校低学年ではあまり性差を意識して欲しくなかったために見せたくなかったのです。でも、お友達との会話から興味を持ったのでしょうし、お友達との会話についていくためにも見たかったのでしょう。そこで頭ごなしに「見るな』と言ったり、友達関係に口をだすのは過干渉かな、とジレンマを感じたのを覚えています。


小学校高学年以降はもっぱらスクリーンタイム(電子機器)ですね。初めは「何分・何時間使っていいか」だけだったのが、次第に「何を見ていいか」「いつからソーシャルメディアを許可するか」になってきています(現在進行系)。


ここに来て、過干渉は良くないものの、没干渉というか、親がある程度把握していないのも良くないと感じることが多くあります。





先日、友人の子ども(14歳男)がオンラインゲームで知り合ったという同い年の女の子と仲良くなったそうなのですが、数ヶ月チャットをして仲良くなった末に、写真交換をしたそうです。顔写真です。が、その顔写真を合成されてあたかも裸体のように見える写真になって、彼女から送られてきたそうです。そして、この写真をばらまかれたくなかったらお金を送れ、と。怖くなったその子は親にすべてを話し、写真交換以外は個人情報を教えていなかったこと、などから単なる脅しに過ぎないと考え、その『女の子』に今後は親との会話になることを伝え、法的手段も辞さない旨伝えたところ連絡がつかなくなったそうです。友人は自分の子供を信じ、過干渉にならないよう自分の子どもがどんな会話をしているかはいちいちチェックしていなかったそうなのですが、したほうが良かったのかも、と言っていました。


昨年、ニューヨークで14歳の女の子が薬物の過剰摂取で亡くなったそうです。彼女は家庭環境も悪くなく、成績も品行も良く、動物が好きで、お友達にも好かれていた子だったそうです。1年ほど前からイライラしたり気分のアップダウンが見られたそうですが、そんなことはティーンには日常茶飯事なことだから、家族も特に気にしていなかったそうなのです。友達と遊びに行く、ということに対しても家で携帯を触っているより良いだろうと思って快く送り出していたそうですが、そこから薬物に近づくことになり、結果的に過剰摂取となってしまったようです。パッと聞くと「なんでわからないの?」と思いますが、分からなかったようです。この親の手記を読んだのですが、家族の時間を大事にする家庭だったようだし、家族の会話もティーンの割にはあったようです。この子にはお姉さんもいるようなので、二番目だし、ということもあって一人目よりは放任だったかもしれませんが、それでも没干渉という感じはしないですし、「なぜ?」というのが誰しも持つ疑問のようです。この話を聞いたときにも過干渉にはなりたくないけれど、どこで誰と会って、何をしているのかを把握すべきだったのだろうか?と思ってしまいました。


上記の2ケース、特に二番目のケースはそうあることではないと思います。その最悪のケースを考えていちいち子供の交友関係を把握しようとしたら過干渉だろうなぁと思うものの、最悪のケースになってしまった場合には過干渉にならなかったことを後悔するだろうなぁと思ったり。


どうしたら良いのか、見当も付きません。


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