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異論を唱えることの重要性と難しさ-後編-




アメリカに来てまだ2,3年の頃、「Cultural appropriation(文化の盗用)」という言葉をよく見聞きしました。これは、自分の文化と異なる文化を間違って・捻じ曲げて理解したり使ったりすることを表す言葉で、そうしないよう気をつけなければならない、ということが盛んに言われていました。

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以前からあるものですが、コロナ禍の初期の頃、ジョージ・フロイドさんが亡くなったあたりで「Black Lives Matter運動」が再燃しました。この「Black Lives Matter」という言葉でアメリカで歴史的に虐げられてきたアフリカ系アメリカ人への未だに残る差別や差別に繋がりかねない社会的システムに焦点が当たるようになっていると感じています。

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また、数年前から、LGBTQに代表されるような性的マイノリティーの方々への差別がクローズアップされ、性的マイノリティーへの差別を無くすための運動が盛んになって来ています。

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そして、去年から始まったウクライナとロシアの戦争、つい先日から始まったイスラエルとパレスチナの戦争では、抑圧者と抑圧される者という対立構造についての話題がよく出てきています。

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これらのこと、それぞれに共通点はないのですが、半引きこもり的な日常生活を送っている私であってもこれらの話題には様々な場面で出会います。そして、私が問題なのではないかと思うことは、これらのテーマに関しては自分の意見を言えない・言ってはいけないと感じている人が多いように感じているのではないかということです。日本人に限った話ではなく、アメリカにいる多くの人に共通するのではないでしょうか。何に恐れているかと言うと、上記で挙げたような内容のコメントを下手に口にすると、「差別的だ」というレッテルを貼られ、社会的に抹殺されてしまう可能性があると感じている(実際にそういうニュースも見聞きする)ということです。なので、建設的な議論も行われず、「こうあるべき」という意見に従う声だけが聞かれ、それ以外の声は上げられないような雰囲気があるのです。


例えば、6-7年前のことだったと思いますが、地元の親が集まるFacebookグループで「ハロウィンで未就学児の娘(白人)がモアナ(ディズニーキャラクター)の格好をしたがっている。どう思うか?」のような投稿がありました。それに対して、「Cultural appropriationだ」や「ありえない」のようなコメントがたくさん載せられており、私が受け取ったメッセージは「白人の場合、ハロウィンであろうと、未就学児であろうと自分に近い文化以外のものを取り入れるのはタブーとみなされるのだ」ということでした(ちなみに、日本人や白人以外の子供がモアナの格好をしたり、シンデレラやエルサの格好をするのは問題ないとみなされているらしいです)。また、それらを口にすることすら憚られるような雰囲気すらありました。可能性があるかと考えることも許されない、のような。


数年前、ハリー・ポッターの作者であるJ.K.ローリングが「トランス女性(女性自認しているが、男性として生を受けた人)は女性である」という言葉にNOと言ったことでトランス差別だと言われ、ニュースとなりました。しかし、ニュースでは彼女の言葉の背景や意図していることを全て排除した上で「トランス女性を100%サポートすべき。そうしない人は差別主義者である」というようなスタンスが「是」とされているように見えました。違う意見を言ったり、疑問を呈するだけで「トランス差別者」のレッテルが貼られ、仕事を失ったり、社会的に抹殺されたりするようなことが起きています。それ以来、トランスジェンダーを含めたLGBTQに関することは「100%サポート!」と言わないのなら言わぬが仏、のようになっているように感じます。


私としては、モアナの件もトランス女性の件も様々な意見があっていいと思うのです。個人の価値観や物事の重要性が違うのですから、違う意見を持っていて当たり前だと思うのです。でも、その時に話し合いができないことが問題だと思うのです。違う意見を持つのがタブーとなるのは危険じゃないでしょうか?


第二次世界大戦で日本でもドイツでも「これはおかしいのでは?」と言うことがタブーとなり、日本は敗戦まで突っ走っていきましたし、ドイツではナチスの台頭を止められなかったのではないでしょうか? 例えば、私には二人の娘がいて、一人はバレーボールをしています。もし、娘のチームに見た目も体も男の子だけれども性自認は女の子、という子が入ってきて、娘と娘のチームメイトとポジション争いをすることになったり、着替えや遠征で日夜一緒にいることになったら「ちょっと待って」と言って、新たなルールを作るなり、何かしら対話をしたいと思います。別にそれはそのトランス女性を認めないわけでもないし、トランス女性を排除しようと思っているわけでもありません。でも、それに対して「トランス差別だ」と言われてしまうのは心外ですし、それを言うことが様々なリスクを抱えているとなったら逆に多様性の侵害になっている気がするのです。


アメリカは日本以上に多様性を重んじている国だと思ってきたのですが、これらのテーマに関しては多様性や違いは認められず、100%従えない人は悪人とすらみなされかねない怖さが広がっていると感じています。そして、上記のようなテーマに敏感な人は間違いを犯さないよう、安全だと思える人としか付き合わず、逆に世界が狭まるのではないでしょうか?


もちろん私の経験したことや感じたことはアメリカとは言えほんの一部で起きていることでしょう。どこででも同じ、とは思っていません。しかし、リベラルと言われる地域に住んでいると、超リベラル主義者は超保守主義者と同じぐらい多様性や違いに不寛容だな、と思ってしまいます。


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